2012年1月25日水曜日

組手什で勧めること

組手什という組立部材。国産材の建築材などを採った残り部分を活用したくて考えた。<私が考えたわけではないが。>

1,使うことに意味がある。山や森が大切で、その資材を有効に使っていきたいと願うなら。山や森の管理の一助になると考えるなら、どんどん作ってどんどん使かうべきだ。

2,組手什は誰が作って、誰が売っても構わない。我々はこんな物が有りますよ、こんな使い方が有りますよ、と紹介するだけだ。木を使っていこう、という方々は積極的に取り組むべきである。

3、価格を安くすることは考えない。組手什は高く買って欲しい。安い部材でコストパフォーマンスに優れた什器ならば他に選択肢はたくさんある。組手什を勧める意味は、お金の払い方を見直そうと言う意図がある。組手什にまつわる経済が、きちんと廻っていくのに充分な利益を確保しようと想う。充分な利益を得て、その一部でどこかの何かを支援していきたい。「結」や「講」のイメージを載せたい。

 

山の木を使っていこう、と言うなら組手什はどんどん使われるべきだ。

とにかく一度は手にしてみるべきだ。それから更に作るか辞めるかを決めればいい。作るのに難しい物ではないし、辞めるのに困る物ではない。「失敗の引きだしをたくさん」というならばまず乗るべきだ。

 

価格競争に乗って組手什が安く手に入るようになったら、そこからまもなく組手什は消えてしまうだろう。低価格化のために、外材を外国で作って持ち込めば、組手什の形をした棚は誰にも安価で手に入れられる。しかし、その時に破棄されてしまった物に気付く人は居なくなっているだろう。最初に何のために組手什を作ろうとしたのか、は迷い事になる。

大きな事を言うようだが、今の経済情勢もそれと似ている。何のために経済を成長させたのか、その目的が消えて、金の流れという外殻だけが残っている。

会社は従業員に給与を払い、従業員は会社の製品を買って、会社も従業員も豊かになった。カローラからクラウンへ、賃金上昇はそのまま消費の拡大だった。生活に必要な物を求めて、生産と消費のバランスがあった。しかし単に売るために創る、という形はまさに、外見だけの経済である。たしかに物が動けばお金が動く、しかし必要でない物には最低限のお金しか動かない。となれば必要な物(必要だと思っている物)とは高額商品だと言える。ショッピングのレジャー化を断ち切ること。必要でない物は創らない、売らない、市場を創らない。その分を必要な物の経済、賃金へ廻すべきだ。必要な物こそは支えなくてはならない。農業や漁業かも知れないし、継承技術かも知れない。流行でなく、常態的にそれに見合った財を投入しなければ支えられない。それが経済と考える。

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