2011年4月18日月曜日

文明の終わり

文明の終わりは、やはり戦争、だと思う。戦争は愚かな行為ではない。戦争は結果である。様々な営みの行き着く果てに、争いがある。言い争いも、近所のケンカも、国際紛争も事は同じ。好きこのんで誰も争いをしない。争いを遠くのもの、としているところに危険が蓄積している。

エネルギーの減少、石油ピークの通過、エネルギーはいつでも争いの根本だ。エネルギーがなければ生きていけない。生殺与奪権を握っている。

震災で、支援物資を配布する場所に整然と並ぶ日本人。モラルがあって秩序が保たれている。そこからイメージを進めよう。

エネルギーが減る。収穫コストが上がる、エネルギーが高騰する。そこで、限り有るエネルギーの分配が始まる。さあ、いろんな国の人々があつまって、エネルギー分配の前に、秩序有る待ち行列を作る、と言う事があり得るだろうか。モラルを知っているひとがどれだけいるだろう。さらに、やせ衰えた人と、肥えて宝飾品に包まれた人が同じ列に並ぶ。やせた人は1日おにぎり1つでよいと言う。肥えた人は1食におにぎり2つ要るという。それでも待ち行列の秩序は保たれるだろうか。どんな配分が公平だろうか。それとも戦争?

エネルギーのコストは間違いなく上がる。石油にせよ、代替にせよ、同じ価格で手に入ることはない。エネルギー貧富の差はどんどん広がる。

争いの原因はいつでも格差にある。地殻変動の如く、格差が広がればそれは、争いのエネルギーへ転換される。争いの果ては格差の解消になる。

様々な格差を広げないこと、それが存続への道である。エネルギー消費を押さえること、誰もが身の回りのエネルギーだけで暮らすこと、それが循環社会で、系に受け入れられる生態になる。文明は耐えられない。それは文明であることの質になる。