2010年10月26日火曜日

やっぱ、石油だなあ、と

人類の切れ目は、やはり石油だなあと、あれこれ思うのです。COP10をやってて、100年後、200年後の地球環境を考える、と言っているけど、わたし的には、200年すれば、自然と環境問題は解決すると思ってます。100年かも知れない。地球環境の問題よりも、人類の存続の方が時期的には短い、と思うのです。ヒトのこと心配している時じゃないでしょ、と言いたいけど、、、誰に?

いつの時代でもどこででも、エネルギー補給の切れ目が文明の切れ目だった。石油以前は木材。資材、燃料、食料、それらの賄える範囲内でしか文明は続けられない。それが亡くなれば、ある分だけのヒトしか生きられない。地球上の系とはそう言うもので、ヒトもそれに属している。イースター島に起こった文明の消滅がは、生態系の長いスパンでの日常的な出来事なのでしょう。

石油が足りなくなれば、この文明は終わる。代替はない。石油に始まった繁栄だから、石油と共に終わる。太陽電池も風力も、原子力も、詰まるところ石油が支えている。まず石油に替わる運送手段はない。そして鉄も樹脂も小さな部品一つ出来ない。食料だってもちろん隅々まで確保できないし、その保存もままならなくなる。輸送、保管が出来なければ、食べきれない以上の捕獲はなくなる。その日その地域で食べる量が採れればよい。石油以外のエネルギ-では、今の爆発的な消費を支えられない。中国や、インドの人々のさらなる消費がすでに、その時代を予測している。そしてもう誰もそれを駐められる範疇にない。対数的な立ち上がり曲線の今は手の届かない遙か彼方だ。

石油が減れば、ヒトは何も出来ない。おそらくただ残り物を奪い合って争うのみ。適正な数まで、何らかの形で減っていく。どうやって減るかは問題ではない。人類が減れば、自然の誰か、何かかがはそれを補う。石油の盾無しに自然を押さえ込むことは出来ない。雨風、冷暖、水の確保でさえ、長い時間の学びがなければ難しい。

それが出来るのは自然をあがめた暮らしをする人々だ。星を読み、風に聞き、水を撫でられる人々が、いくつかの命を自然と取り引きをして、住処を造っていく。石油のない世界で生きられるのは自然に選択された人々だ。かつてヒトをおごった者はそこにはいない。山や空をあがめて、いくつかの精霊の声を聞いた者がそこに居るのだろう。

だから、消費は麻薬と何ら変わりはない。エネルギー消費症という麻薬患者は、今では当たり前の人たちを差す。

2010年10月15日金曜日

自由競争とは、個対個の弱肉強食関係

物の価値が、需要と供給で決まる、市場原理、それは強者の言い分。その物が何であれ、そっぽを向けば安くなり、人気をあおれば高くなる。それはまるで証券市場のそれで、要不要にかかわらず、強者がそれをもてあそぶ。

 

物の価値とは、原価の積み重ねで決まるべきだと思う。その生産に対するエネルギー投資の量で決まるべきだ。具体的には、それを生産するために何人工必要だったか。その人工がさらに再び同じ物を提供できる分の糧と資材を得られなければならない。そうでないと循環しない。その物が永遠に消えてしまう。

市場原理とは、自由競争、弱肉強食。弱い物はえさになり、強い物がそれをむさぼる。しかしそれは自然の摂理ではなく、人間の欲の賜。生態系は、(BiologicaalSysytem) 皆殺しにはしない。強者だけが生き残ることはない。弱者が消え去ることはない。それはつまり、系(System) だからだ。系は全体で一つの機能を果たす。系に属する物それぞれが役割を担っている。だから、誰かが占めて、誰かが消えることはない。入れ替わることはあっても、系としての体系は維持される。そこには弱者も強者もない。互いが依存関係にある。

強者が弱者を駆逐するのは、それができるのは、個々が独立しているからだ。個であれば、互いを消しても構わない。自らに影響が及ぶことはない。だから、テリトリーがあり、境があり、部族、習慣、民族がある。それぞれが独立した自我を持つ。それぞれは相手と利害という関係しかないと思っている。そこには系はない。だから安心してつぶし合える。

生態系は、系なので、それぞれが関連している。全体で一つの目的をめざしている。それぞれはそれぞれの大きさで蠢き。現れて消えて入れ替わりはある物の、全体としては平衡を保っている。生態系の目標は、時を経ること。生き延びること、複製し続けること。それは、系全体の意思。それぞれの種が消えたり現れたりは、茶飯事なのだろう。