2009年8月29日土曜日

我慢しなくてもよい、、、っていつから?

いつからか、我慢することは美徳ではなくなった。夢を形に。やりたいことをやり、欲しいものを得る。それをぜったいにあきらめない。あきらめないことは美徳。いつから?

限りなく突き進む欲望を、絶体にあきらめないで、赴くままに成し遂げる。そしてまた次の目標へ向かう。それを美徳にしたのはなぜ?それが受け入れられる、喜んで受け入れられるのはどうして?それこそは、私たちに科せられたDNAの使命なのだ。種を超えた、生態系の歩くべき道程なのだろう。

 

マラソンの後は、たった1杯の水は、何にも増して私たちを幸せにさせる。高級料亭の希少な食材は、塩加減一つで大きなストレスをかもし出す。私はクーラーが嫌いで、夏の汗は大好きだ。汗でぐずぐずになったシャツを揺らす風は、何よりも涼しい。どんなに暑い真夏の夜でも、かすかな空気の揺らぎが、この上ない快感を運ぶ。それに誘われて安らかに眠るために、昼間は一切クーラーを付けないし夏バテもない。つまり、自分に何を教えるか、だ。

 

食べられるだけで我慢し、要る分だけで我慢し、夢はそこそこに、想像と現実とを切り離し、犠牲を受け入れ、子供や親族の何割かの短命を受け入れれば、循環社会の仲間入りが、たぶんできる。どこかの国のお祭りや、さばけなくなったブランドのバブルイメージを見られなければ、仮想現実の脚本化された快楽におぼれなければ、たぶん、他の生き物との系に入ることができ、次世代進化の中に残ることができるのだろう。

うるさい脳のわずらわしさったら、、

結局私たちは、脳が気まぐれに(そうじゃないとはおもうけど)次々と、繰り出してくる欲に応えて行かなくてはならない。脳の命令に従えば快、従わなければイライラなのだ。

テレビに映るステキな車。なぜかアレが欲しい、と脳がかってに決める。”格好いいじゃん、アレでなくっちゃ。色も良いし、センスも良い。何てったって性能がいちばん。エンジン出力も抜群で、アレをどうしても手に入れないと。” 脳は、様々な妄想と快感の期待を次々とイメージに送り込んでくる。アレが全て。あれがあれば恋人も手に入り、仕事もうまく行き、不満が全て消え、世界をバラ色に見せてくれる、誰がってあなたの脳がそうしてくれる。だからあの車を手に入れろ。

そのつぎに、アレが手に入らないイライラと、もし手に入れなければ”絶望”を与えると脅してくる。アレが手に入らないと、あなたは無能だ、甲斐性がない、目標も達成できないし、行動力もない。約束も守れなく、将来性もなく、生きている価値がない。恋人はできなくあなたは一生不幸なまますごすことだろう、と、あなたの脳はあなたに語り続ける。それは、車でなくスーツかも知れない。指輪、ブランドバック、それとも会社での地位、給与、栄光と冒険、開発と発見、次から次へと、欲とイライラを投げかけてくる。それは、次々と、限りなく、報酬もなく。

もし、あきらめたら。我慢して、達成できなくてもそれでよいと言ったら。たぶん絶望は訪れなくて、ストレスは消えるだろう。欲は達成するためにストレスを与えるのだ。欲がなければ、ストレスは消える。そうでなくてはならない、事が無くなるのだ。まずい物を食べていれば、おいしい物を食べられないストレスはなくなる。不格好で満足すれば、人の目を気にしなくても良くなる。誰の悪口も非難も、軽蔑も意味をなさなくなる。欲とストレスはワンセットなのだ。

”精神”という ”観察映画” を見た。「おまえなんかいなくても良い、消えてしまえ、死んでしまえ」という声が聞こえると患者は相談に来る。だったらそれは、自分のことではない、と思えばいいのだ。あんたの前でなくても生きて行かれるし、うっとうしがられてもそれも構わない。みっともなくて結構だし、いやがられも構わない。

自分が生きていければいいのだ。あなたが、あなたの脳のつぶやきを無視することができたら、平穏な日々が訪れるだろう。何のために脳は、どうでも良い欲望を、次々と無尽蔵に突きつけてくるのだろう。本当にどうでも良いこと。あふれるほどの衣服も、希少な高級料理も、デザインだけの造形も、新しい恋人も、無くても生きて行かれる。無ければストレスも、絶望もない。それが無くても暮らしている人はいくらでもいるのだ。何千年も前から、人は変わっていない。進化はそんな早くないのだ。生きていくために必要な物と、そうでないモノを見分けないといけない。そうしないと、あなたはあなたの脳に抹殺される。

 

欲望は絶望と天秤に載せられているのだ。

2009年8月25日火曜日

麻薬のこと、誰もが同じような、、、

麻薬が人体でどう作用しているかは、だいたい解明されているようだ。モルヒネはその組成が、脳内で分泌される満足を感じるタンパク質(ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンなどの名称)ににており、快楽神経に興奮をもたらすという。脳内であればこれらのタンパク質は制御された範囲内で適量分泌され、事後は速やかに分解される。外部から投与されたモノの害は、制御がされてないことに寄る。つまり、刺激の量も、時間も、刺激する場所も適当でいい加減なので、リズムが狂ってしまう。快楽は記憶され更に上を求める。まるで科学の進歩、文明のよう。

 

薬物依存症、といえば縁のない者には想像が難しいようにおもうが、ちょっと考えてみればそれは、われわれの日常と同じではないのか。われわれの欲望、生きること、愛すること、希望と達成と、共有感と感動、それらをいつも夢見て、それらに渇望して人は日々を過ごしている。それは適度に制御され、必要な時とそうでない時とにわけられ、無駄な争いを避け、トータルでの総合利益が計られるように仕組まれている。

 

もしこの制御が無くなったら。実験動物のごとく、身近なスイッチを入れたときにいつでも、愛されているという満足感が得られる、全ての人があなたに羨望する、至極の食が味わえる、仲間との一体感が延々と続く、「愛している離さないよ」とずーっとずっと言い続けられる関係、明日への尽きることのない生きる希望、長年の努力が次々と尽きることなく報われる、永遠の拍手と喝采の中にあなたは立っている。

そんな手元のスイッチを、意識は制御できるだろうか。感情に対抗できる意思などと言う物は存在するのだろうか。あるとしたら、それは生き物を否定するものだろう。つまり、大切なのは”系(システム)” であり、個ではないのだ。

 

”HOME" というドキュメンタリー映画を見た。増える人口。とどまるところを知らない占領と採取と搾取。先が見えていてもなお、絶滅へ向かう種。そう言った行動にブレーキを掛けていては、生態系は守れない。無き水を求めて掘る井戸、干ばつの横で噴水を飛ばすギャンブラー、餓えても餓えても生まれる子供、食べても食べても廃棄される糖と蛋白。

 

無くなるまでやめられない、破滅するまで終わらない。

 

いちど ”我慢” という制御を外したら、個の自滅こそ全体を守る術である。(うーん、座布団1枚!)

2009年8月6日木曜日

なぜ脳は、自分を攻撃するのか?

世界がイヤになり、絶望し、生きている望みがなくなる。すべてが敵になり、だれもが自分を非難し、蔑んで、ろくでなしと思っている。

そう思うのは誰のせいだろうか?別れ話をした恋人?イヤな上司?いじめっ子の先輩か、苦情ばかりの客。永遠に終わらない業務なのか、取り戻せない若さなのか。ちょっとまて。あなたに絶望を感じさせるのは、だれでもなく、あなた自身だと思わないか?"絶望"を語りかけているのは、紛れもないあなたの脳だ。思い当たる節はないだろうか。

あなたに恋人が居て、デートの日が迫っていればおそらく、どんな目にあっても絶望しないだろう。不治の病が誤診だと判ったら、客の苦情も上司のイジメも苦にならないだろう。

脳は、外界の情報を取捨選択している。聴くべき物、聴かない物、見える物、見たくない物。それらは何らかの基準で選択され、意識に伝えられる。雑踏のざわめきの中で、あなたは恋人の呼ぶ声を識別するだろうし、誰か他人のうわさ話の中で、恋人の名前が言われた途端、その声が聞こえるようになる。ネオンサインの渦の中で信号が見つけられるし、星空に星座を結ぶことも出来る。

もっと物理的には、単純な構造の目が、広い世界をぶれもなく、ズレもなく、全ての部分で焦点があった世界を見せてくれる。カメラや顕微鏡を覗けばそんなことがあり得ないことが判る。

何を聞き、何を見て、何を無視して、聞こえなくするかは、脳が決めている。通勤電車の中で全ての人の会話を聞いていることはなく、うるさくても読書の邪魔にはならない。

その脳が、あなたがイライラする話し、絶望する話題だけをなぜ意識に知らせるのだろう。ネットのつまらない書き込みは見なければいい。その書き込みは自分に関係ないんだと思えば、言葉は意味のない抽象画と同じだ。容易に無視して、楽しいことだけを意識に知らせれば、いつだって明るい希望を持ってあなたは人生を過ごせる。脳が自らの肉体を守りたい、と思っているとしたら、出来ることはある。絶望などは意識に上がらなくすればいい。イヤなことは他人事にすればいい。脳は勝手に希望的な物ばかりを意識に映せばいい。それは建設的で、人類の繁栄にもっと貢献することだろう。明るい未来は、気がつけばそこにある。

しかし、脳はそれを見せない。悪口はよく聞こえるし、自分の欠点はかなり大きい。どう見たって最悪にはほど遠いのに、絶望は容易に人を襲う。絶望は人の前途を絶ち、誰かを殺め、自らの命を奪う。それはよくあること。ふしぎとよくあること。

誰のせいでもなく、脳は自らを絶望に誘う。なぜだろう。本能の中で、自分が生き延びることは、優先順位ではない、ということだろうか。誰かのために犠牲になること、社会を成立させるためには、大切なことかも知れない。

争いも、逃避も、同じように自己を破滅させる。協調のストレスも、仲間はずれの寂しさも、自己を破滅させる。社会を営む生き物が社会をなすために仕組まれた、巧妙な理にかなった機能なのだろうか。