2009年7月30日木曜日

感情はコントロールできるか?

答えは出来ない。感情が人をコントロールしているから。感情は本能の事。生き物に仕組まれた行動形態。感情は生き物の基本的な動機を現し、それに沿って行動し、争い、逃避、防衛する。

 

私たちが冷静に判断し、意識して行動するとき、それはおおよそどうでもいいことなのだ。どちらへ転んでも、どれが真実で嘘であろうと社会での可否には意味があるとしても、生態系から見たヒトにはおそらくどうでもいいことだろう。仕事、プロジェクト、研究、学習、冒険、探求、財産、御殿、膨大な宇宙の果ても、深海の底にある物も、人の仕組みや遺伝子、陽子、中性子もヒトの、脳が産んだ種固有の概念、幻想にすぎない。どれが真実だろうと嘘だろうと、信じるも信じまいも生態系の未来にはなんら影響はない。

 

私たちにとって大切なのは、争いであり、恋愛であり、憎しみであり、暴力である。それはつまり、制しようとしても制しきれないところにある。自分のコントロールの外に位置する物だから、誰も止められない。それほど重要な物、最優先事項なのだ。つまり家族を守り、子孫の住処を確保し、お気に入りの配偶者を容易に奪われてはならない。そのために、律しきれない愛憎と、暴力と絶望がヒトに備わっている。それはヒトの仕組み、いや、地球上の生き物の仕組みだ。そのなかでヒトは生きている。

2009年7月11日土曜日

絶望する脳の仕組み。

人を絶望させ、鬱に追い込み、誰かを攻撃し、自らを破滅させる。その仕組みは全て脳にある。または、遺伝子に組み込まれている。

様々なストレスや、外部刺激が人々を襲う。あちこちに気を取られて、どれも無視することが出来ない。イライラし、困惑し、嘆き、あれこれと攻撃手段を考える。そのような仕組みが、ヒトの構造に組み込まれている。

ストレスや困惑を無視することは、手順からすると簡単だ。われわれは何かに夢中になっているときに、それ以外のことは聞こえないし、気にならない。大事な人が病気や怪我をしたとき、つまらない中傷や勝手な言い分は問題とならないだろう。会社での責任問題や、やり残した仕事、苦情の多くも立場が変わればどうでも良くなる。ちょっとした気分の切り替えで、重大問題は容易に、どうでもいいことに変わる。それは、脳の中のちょっとした仕組み思い込みだけのことなのだ。

自分を追い込むのは自分だ。責めるのも、悩ませるのも、攻撃に走らし、誰かを殺めるのも、全て自分の中の脳が命ずる出来事だ。誰もあなたに鬱や困惑を命令し、その通りに行わせることは出来ない。そして、なんの意図もない小さな一言が、あなたの狂気を掘り起こす。誰がどういった意図や理由でそれを起こしたか、というのは何ら問題を含まず、それをどう受け取るか、そこからどう言った狂気を組み建てるかは、あなたの中での出来事なのだ。

 

生き物は本当に自己防衛本能を持っているのだろうか。自分を大事にし、自分の命を大切に守ろうとするのだろうか?もしそのチカラがあるのなら、つまらない中傷や命令、悩みや妄想を断ち切ればいい。不要なことは聴かなければいいし、つまらない物は見なければいい。そのコントロールを脳は可能である。なのに、である。

脳疾患の症状の1つに、不安とイライラを一切なくしてしまう病がある。未来の不安が一切無く、備えも貯えも思わない。誰もが友好的で、自分の友達。だれからの悪意も感じない。”事故の前よりずっと幸せです。不安が全然無いんですもの”と彼女は言う。生き物が自らを守り仲良くやっていく意図があれば、その仕組みはすでに準備されている。しかし、実際はそうではない。ヒトは疑心暗鬼で、誰もが自分を狙っていて、出し抜こうとしている、と思う。油断大敵、足下をすくわれないかと恐々としている。脳はそれをさらに大きくかき立てる。気をつけろ、気をつけろ、狙われている、、。

そうした脳の仕組みは全く好戦的だ。さらに敗北感は自らの命を容易に脅かす。命の継続に危険な、困惑、鬱、イライラ、絶望を接ぐ次と沸き立てる。自分に対して、“死ね”と叫ぶのは、だれでもない、自分の脳なのだ。その仕組みは当たり前のように健全に機能している。”正常な”人々の誰の中にもある。そしてそれをやっかいとか不審に思わない。自分を殺める危険な物を自分の中に持っている。

生き物はいつでも自分を殺す、というか、死を避けない。死を回避しない、というルールがあるように思う。永久の命はエコロジーの崩壊だし、糧は限られていて、それは命以外にあり得ない。だから集団の中で、処分される機構が必要なのだ、と考えるとこれは理にかなっている。集団こそ優先であり、集団を脅かす個体は抹殺されるべきで、そう言った仕組みが用意されている事は理にかなっている。

2009年7月2日木曜日

人生の長い時間、欲の言うことを聴かなくちゃならない。

欲には切りがない。欲が満たされるまで休まることはない。満たされない欲はストレスで、欲を満たすために行動する。欲には切りがないから、満たされることにも切りがない。

 

発見欲、開発欲、存在欲、意義欲、羨望欲、進歩欲、、、、行動の動機は全て欲。そしてそれを創り出しているのは、脳であり、細胞であり、DNAであり、そして”生命の定義”その物だ。動くために、見るために、聴くために、触れるために、想うために、そこに欲が無くてはならない。おそらく、満たされようと不満だろうと、そんなことはどうでもいいのだろう。動き回り、触れ回り、見て、聴いて、その先と明日を想うことが生きていくための大切な情報であり、目的なのだろう。

 

より長い時間、より多く、より多様性に富んだDNAをばらまくこと、時間を稼ぐことこそが生きる目的で、その呪縛から生き物は逃れることが出来ない。絶え間なく、尽きることなくわき出してくる、したいこと、欲しいもの、見たい物、聴きたいこと。この脳の中で傍若無人にばらまかれる欲を、死ぬまでなだめてすかせて、満足を与え続けていかなければならない。果てしないことが判っていても、留める事は出来ない。それは麻薬に似て、誰の頭の中にもある。