2009年6月3日水曜日

技術も科学も芸術も、、、欲という括り

覚醒剤は常習性があり、麻薬ほしさに何でもやると言う。その原理は、ドーパミン、セロトニン、といった脳内の満足感充足物質の存在という。過程はどうあれ、"満足"をめざして、生き物は行動をする。付け加えれば、”不快”を回避しながら。

 

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高度の技術や発見も、発明や文明も、さて、それが何なんだ、と問い始めると答えが見つからない。それが無いと暮らせないか?というとそうではない。何万年も前からヒトは生き、生活し、増えているのだ。

文明や技術の必要性を何の尺度で測ろうか? 幸福度? 幸福度、幸福感をどんな尺度で測ろうか。例えばモンゴルの遊牧民と東京の都民。”あなたは今幸せですか? モンゴルのヒトと比べて幸せ度はどうですか?” と聞こうか。 技術や文明に相関して不満は減っているだろうか。エネルギー消費に比例して幸せ感は増えているだろうか?

 

技術の進歩は誰に貢献しているだろうか。牛や馬?猿や鹿?イヌワシ、フクロウ、ワニ、カブトムシかテントウムシ? 欄の花、ひまわり、さくら? それらはヒトの技術進歩に感謝すべきだろうか。

宇宙の開拓、深海探検、素粒子の探求、感染症の撲滅、難病の治療、それらは人々の不満を軽減し、満足度を増しているだろうか。

 

しかし、つまるところ、”何かをしていないと満足できない仕組み”が、食欲や性欲と同様にわれわれを振り回しているだけではないのか。知的でも霊長類的でもなく、本能に仕組まれ遺伝的に設計された行動にすぎないのでは。発見や進歩、成功や到達は満足感というトリガを引くだけの物。エゴや物欲と同じく、脳がのべつ幕無しに訴える不満を、如何に回避しようかと生き物は必死になっている。新しくも斬新でも進歩的でもない。生き物に仕組まれた動機の支配からは免れない。

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