2009年1月22日木曜日

内臓が産み出す心  西原克成

と言う本を読んでいる。これは、私にはしっくり来るテーマである。心はどこにあるか。心は脳にあるか、それとも心臓にあるか。心は脳、大脳皮質にある、と言う定義は、心は人間だけの物である→大脳皮質は人間だけの物である→だから心は人間の大脳皮質にしかない。 という図式が見える。心は高等生物だけの物だろうか。

心は内臓にあり、という発言は、心は全ての生き物にある、それは全ての生き物に内臓はあるからだ、という図式になる。全ての生き物に、消化器と生殖器はあるのだ。

そのまえに、心とは何か、という定義がいる。私は2つに分けたい。一つは行動方向を決めること、もう一つは現実のイメージを作ること。

心の基本的な役割は、外の情報を取り込み、行動を出力すること。人の行動、仕草、慣習から見た心による作用は、犬や猫、トカゲや蛇と何ら変わりはないと思われる。人が大気圏外へロケットを打ち上げて喜んでいるのと、蜂が精巧な巣を造り上げるのとどう違うのだろう。核融合技術と、小さなアリが人の背以上のアリ塚を造り上げることとの違いはあるだろうか。その種にとって喜びでも他の種にとっては関心外、と言う点で同じ土俵に上げられる。私たちの言う、”趣味の違い”、そのものである。どちらもどこからか沸き上がる衝動に操られているに過ぎない。犬や猫、たこやイカに心などあるはずがない、と言う人々は、ほんの百数十年前まで、肌の色が違うだけの同じ種を、別種と信じて獣扱いし、彼らに心の存在など否定していたのだ。

脳が無くても心があるならば、心は脳以外の場所にある。脳は、中継所、データベース、ただの信号の集中整理場所にすぎないと思う。機械で言うIO(アイオー:InputOutput 入出力機構)。皮質はふくれあがる妄想を納める巨大なハードディスクに過ぎないのではないか。

心肺同時移植、という医術がある。心臓、肺、胸腺、は、発生源が同じなので同時移植は成功率が高いという。そして、移植をした者には臓器の持ち主の記憶が移ってくると言う。これを不思議とするか、事象とするかは、皮質の好き嫌いによる。

著者の言うように、食料を得ること、子供を残すこと、これが生命の行動目的ならその欲求の源は消化器であり、生殖器である。後者に対しては誰もが実感しているはずだ。

心とは、何かを成し遂げたいという欲求をかなえるための意志。欲求という命令を出している者の正体は何なのだろう。

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