2008年4月29日火曜日

もう一人のゾンビ

 頭の中にもう一人いる。言われてみれば思い当たることがいくつかある。

 車を運転する。何か他ごとを考えていても、ちゃんといつもの道を走っている。信号で止まって一旦停止で止まって、事故もなくすすみ、はっと気がつくと家の近くだ。また、ゴミ箱にゴミを放り入れようとする。何気なく放るとすっと入る。おっとと、これはすばらしいと意識して狙うとこれが入らない。無意識のうちに投げたゴミをコントロールしていいるのは誰だろう。
 自転車に乗る。ハンドルを握って、バランスを取りながら脚をペダルに乗せる。倒れそうになったら力強くペダルを踏むとバランスを取り戻し、自転車は姿勢を立て直す。そうやって自転車の乗り方を学んだ時から、いま、何も思わなくても乗れるし、どの方向へも自由に行ける。いま、自分に変わって自転車のコントロールをしているのは、いったいだれなのだろう。
 年を取ると耳が遠くなる。そこで補聴器を使う。補聴器を始めて着けた人には、騒音がうるさくてしょうがない。全く別の世界なのだ。つまり、普段何気なく無視できている無用な音ががきこえてしまうのだ。 
 であれば、普段聞きたいモノと聞きたくないモノを脳の中で分けているのは誰なのだろう。雑音と聞きたい音を分けているのは?
 私たちが意識と呼ぶ領域に、データをきちんと整理して送ってくれる誰かがいる。身の回りの膨大なデータをより分けて、意識に挙げてくれる。意識しないデータをきちんと整理して憶えておいてくれる。必要な時に大切なデータを引き出してくれる、誰かがそれをやっていてくれる。意識に上るよりも遙かに膨大な量のデータを素早く処理してくれるもの。
 私たちの知らない、本当の私。

2008年4月28日月曜日

ゼロサム と言う言葉

 ゼロサム zero-sum だと思うけど、一時期流行った言葉。覚えている方も多いと思うけど、地球上はこれだと思うんです。意味は、合計するとゼロになる。言い換えると、総量は同じだよ、配分比率が変わるだけだよ。エネルギーも、資産も、糧も、合計は不変で、我々地球上でそれを必要として欲する者達が、分け合っているだけではないか。と思うのです。
 
 石油も、食料も、水も、安全や衛生も、医療や暴力も、誰かがそれを逃れた分、誰かがそれを抱え込んでいる、という構図はいかがだろうか。割り算の演算を思いだして、分子は一定で分母が増えれば割り当てが減る。人口が増せしてみんなに配分すれば割り当ては減る。あなたが望む生活レベルと安全と未来を獲得したければ、総量が同じセロサムを信じるとすれば、その割り当てに参加する人数を減らなければならない。 これが今の現実的な世界構造だと考える。つまり、貧困格差の拡大こそ、幸せを望む人の願いが叶えられる。これは、誤った筋道ではないと思うけど。
 さらに、エコロジカル(生態系)は、ヒトには制御できないところでバランスを取っているとおもう。慈悲と愛護による人口とエネルギー消費の爆発的な増加は、もうすぐ他の多くの生き物に再び場所とエネルギーを返すことだろう。これは筋の通っている話だと思う。

いつでもどこでも誰もがイライラするのはなぜ?

 なぜそうも、誰もがいちいちイライラするのだろう。あれこれ気になるのはなぜ?

 それだけは許せない、言いたいこと、そうあるべき事、言わずにいられないこと、そうじゃないだろう、間違っている、正しいのは、、、、。
 そんな言葉が交わされるたび、やはり我々は争うべき資質を持っていると思い知らされる。争い、攻撃し、自分の優位さを、機会が有れば示そう、難癖を付けて戦おう、それこそが生きると言うことだと見える。 見るもの聞くモノ、動くモノ、触れるモノ、五感の全てが対象を、良い、悪い、そうあるべきモノと有ってはならないモノ、許せるモノと許せないモノとに選別しながら、そのじつそれらを共有はごくまれで、ほとんどの場合誰もが勝手に定義し、強い意志で誰かとぶつかり争う。
 一方、道に石が落ちでいる。空に雲が浮いている、さわやかな風が吹く、それにもいちゃもんが付けられるが、ケンカは出来ない。相手にならないし得にもならない。だからケンカをしない。 ”ケンカをしないで見過ごす”、という選択肢がある。実際にそう言った行動はあるけれど、人の感覚はそれをほとんど見過ごせない。何でもかんでもカンに障り、イライラのネタになり、人を攻撃的にさせる。もしくは我慢をすることで、イライラを蓄積をさせてより大きなケンカへとエネルギーの充填をする。
 そうでなくてはならないこと、そうあるべき事、良いこと、悪いこと、許せることと許せないこと、そのほとんどはだぶん大局的にはどうでもいいことだ。見過ごせば過ぎてしまうこと。感じなければ過ぎてしてまうこと、解決する必要のないことばかりだ。解決できないイライラを除けば。
 要するに困ったモノは問題事象ではなく、それをイライラさせる脳の仕組み、本能なのだ。隙あらば相手を攻撃しようとする、また、自分の優位さを示しそれをおびやかすものを排除しよう、そうすればイライラを消してやるという生き物の仕組みなのだ。
 欲はイライラを産み、小さな満足に欲は味を占め大きな満足に向けてイライラを増す。欲と満足は果てしなくイライラを増していく。