2008年11月9日日曜日

不安の存在 マイケル=クライトン

マイケルクライトン氏が死去した。よく読んだのです。中でも、環境問題に関して、”恐怖の存在”は、議論を醸した。私はこのタイトルを、”不安の存在”と、直したい。内容から見て、環境問題だから恐れおののくほどのテーマではないと思う。

私に残った印象は、”不安は金になる”と言う言葉。私流にいいかえて、”不安はコストを増す”。不安が増す度、その解消に莫大なお金が必要になる。現実にはなく、ただ、将来起こるかも知れないあれこれに対して、お金がどんどん吸い上げられる。

私たちの、世界トップ水準の高い生活維持コストは、いったい何処へ消えるのだろう。かなり効率的に仕事をこなし、生産効率が高く、安くて良い品をはき出しているのに、競争に勝てない。高収入が得られない、豊かな生活になれない。また一方、貧乏人がお金を欲しがるのは判る。しかしお金持ちがまだまだ、限りなくお金を欲しがるのはなぜだろう。贅沢に走らせる欲求とは何か、と考えると、”不安解消のためのコスト”と、思いつく。あれも不安、これも不安、やがて来るかも知れない不安の一つ一つに対処するために、お金は惜しげもなくつぎ込まれる。欲望とは、不安解消のためのモノ、とも言えそうだ。

食の安全を未然に防ぐ、万一の事故のための安全装置、10年後の訴訟賠償費用。たとえば、平均寿命が50年ならば、50までの不安でいい。10年に1回の災害は、10回耐えればいい。戦争や貧困の国では、.1週間先の不安だけ心配すればいい、それ以上は贅沢だったりする。しかし、今われわれは、遙か遠くの未来の不安まで対処しようとしている。通過する未来は1つなのに、来るかも知れない可能性は無限だ。人の豊かな想像力は、無限の不安を創造する。不安解消のためのコストは、無限に広がる。そこに経済がある。

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