2008年8月17日日曜日

脳とコンピューター

 ぼくが、心や意識、脳の問題に関心があるのは、一つに自分の疎外感のこと、つぎにコンピューターを取り巻く仕組みに類似性を感じるからだ。趣味兼仕事でパソコンとシーケンサー、それを組み込んだ機械を見てると自分の仕組みとの類似性を思わずにいられない。もちろん、人の形作る機械や仕組み、身の回りの物事には手本があって、それを産み出す手順もこの脳から産まれる。脳が知っていることからいろいろと教わっては具象化しているのが私たちの世界だ、とも言える。
 
 脳の発達を見ると、その低位は反射に見られる。特定の刺激に対して決められた応答を返す。単細胞生物の行動やら、我々の中にもある危険に対する反射行動はそれだ。CPUを組み込まない機械システムはこの形である。メカニカル制御とも呼ぶこのシステムはたとえば、初期の織機機械に見られる。カムとリンク、歯車やクランクが一方の動作を受けて、別の形の動作を返している。
 反射の信号を記憶したり、信号同士を演算して判断をするようになると神経節ができ、やがて脳となる。初期のシーケンサーは、入出力信号同士の演算をして結果を返す。シーケンサーに時間制御のタイマーが着く。一時記憶したり、時間的推移を記憶し、偏差をつかう。機械でのその上位制御では、動作部位にセンサーを備えて動作ごとにその推移を逐次把握している。各センサーからのデータを記憶蓄積し、演算し、差異や時間的な推移とその関連を分析整理し、出力信号を創り出す。
 今の機械では、CPUの中に、機械全体の動作出力信号、センサーからの入力信号をそっくり組み込み、バーチャルな状態でほとんどの動作を事前に再現できる。これは私たちの脳その物だ。”ホムンクルスの小人”と呼ばれる脳の中の感覚配置を模した絵のように、そこに繋いだ配線からその部位へ動作命令を送ることができる。

 パソコンの発達にも同じ物を見ることができる。パソコン初期の”マイコン”と呼ばれた時は、用あるごとにキー入力や出力の切り替え、それぞれにプログラムを書いて、信号のやりとりを意識してプログラムを作っていた。やがて、OSと言う名の基本プログラムにいくつかのプログラムが含まれ、機器との関連もその奥深くに仕舞われた。まるで、ミトコンドリアやゴルジ体を内包する真核細胞のようだ。ユーザーは、その名前を呼ぶだけで複雑な一連の命令が実行できるようになった。windowsに見るGUIグラフィカルなインターフェースは、これもホムンクルス同様、画面上のシンボルが実在の機器を示すようになった。windowsに見るディスクトップは、まるでパソコンが見る意識世界その物だ。私は時に、パソコンの見ている夢の中をのぞき見ている感覚に陥る。

 ”世界は脳で造られている”とは、この種の書籍でよく見られる言葉。私たちの意識し描いている世界は、私たちの感覚器で知覚できる範囲の世界だ。犬やフクロウ、モグラやハチは感覚器が違うので別の世界を描いているらしい。コンピューターに繋がれているそれぞれの感覚器も、これからは人の感覚器以上の様々な信号が与えられることだろう。そうすれば、コンピューターは人の想像の及ばない知覚世界をその内部に形造っていくのだろう。あらゆる周波数帯の光や音、磁力や放射線、あらゆる化学物質の密度変化を描画できる世界は、そこに住む生き物は現れるのだろうか。

 話がどこへ行くか判らなくなってきた。こんなところで。

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