2008年6月21日土曜日

他人との理解なんて、,,

 他人への理解よりも自分の内側の理解に目を向けたら?と思う。
 あの人は何故怒るのだろうか、あの人は何故非常識なのだろうか、あの人は何故、あの人は変、非常識、普通じゃない、、、、
 何故人は、他人と理解し合えると思うのだろうか。他人と自分が同じ基準上にあると思い込むのだろうか。なぜ、同じ立場という前提で物事をとらえるのだろうか。わかり合えない、通じ合えない、理解できない、測りかねない、それが本当だと思うのだがいかがだろうか。
 周りを見回す。何人か思い浮かべたその中で、あなたと同じ趣味を持ち、同じ本を読み、同じ番組を見て、同じ音楽を聴き、同じ映画を見て、同じような行動を取れる人が何人いるだろうか。あるいは、隣人の本の趣味を見て、隣人の好きなどラマを聞いて、隣人の音楽ライブラリを見て、同じように楽しめるだろうか。そう言った人が周りにいるとして、そうではない人との割合はどのくらいだろうか。

 そういった事を検証していくと、隣人との理解はとても出来そうにないと思う。だから、規律を作り、法律を作り、モラルを作り、共通の認識を明確化して協同作業を行うとする。作業や活動はそれでいい。ただし、想いや感情、好き嫌い、イライラと明快さはそれでは解決着かない。
 理解し合えない部分は当たり前に、あなたを刺激する。あなたの内なる声は、だれかれ無く攻撃する。何故そう思うのか、なぜ気分が変わるのか、自分の中への問い合わせは、受付れくれない。まあ、攻撃することの快感があるからなのだろう。
 
 理解無しに、うまくやっていければそれでいい。

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